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    (  日  本  )
  
  
 
第1集  世界文化遺産 平泉 ” 観自在王院跡の桜” を観賞する  / 冬の観自在王院跡 
  


観自在王院跡(庭園)、「舞鶴池」の桜を望む
  
  
  
 
 



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世界文化遺産登録  ”平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群” 

( 世界文化遺産  2011年 6月登録 )

 2011年に世界遺産に登録された平泉の世界文化遺産は、正式には『平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―』と言います。日本の世界遺産の中では12番目に登録された文化遺産で、東北地方では初の世界文化遺産となりました。

平泉には、仏教の中でも、特に浄土思想の考え方に基づいて造られた多様な寺院・庭園及ぶ遺跡が、一群としてよく残っていて、その寺院や庭園は、この世に理想世界を創りだそうとしたもので、海外から影響を受けつつ日本で独自の発展えを遂げたものです。
平泉の世界文化遺産は、中尊寺・毛越寺・観自在王院跡・無量光院跡・金鶏山の5つの資産で構成されています。

  〇構成資産
 1.中尊寺
   中尊寺は17院によって構成される天台宗の一山寺院で、850年に慈覚大師円仁によって開山されたと伝えられています。その後、奥州藤原氏の初代清衡が、本拠地を江刺豊田館から平泉に移し、1105年に造営に着手しました。多宝寺が建てられた後、大長寿院(二階大堂)が完成したと伝えられます。大長寿院は、高さ15mという大きな建物でしたが、その中には、高さ約9mの金色阿弥陀如来像が安置されていました。平泉に侵攻した源頼朝は、大長寿院を見て驚き、それを模して鎌倉に永福寺を建てたと言われています。このように、清衡は次々に大伽藍を建立し、1124年には金色堂を完成させました。

 2.毛越寺
   毛越寺は上記の中尊寺と同じく、850年、慈覚大師円仁によって開山されたと伝えられています。その後、藤原氏二代基衡が造営に着手し、三代秀衡の時に完成しました。当時は40以上のお堂や塔があり、お坊さんが生活する建物は500以上もあったそうで、「吾朝無双(我が国に並ぶものがない)」と言われるほど立派なものでした。しかし、相次いだ火災で、当時の建物は残っていません。現存する常行堂も、江戸中期のものですが、遺跡が良好に保存されていることから、特別史跡に指定されています。

 3.観自在王院跡
   毛越寺東隣の観自在王院は、藤原氏二代基衡の妻によって建立されたと伝えられています。敷地の北側には、大小2棟の阿弥陀堂が建っていました。その内壁には、石清水八幡宮、賀茂の祭、鞍馬の様子、宇治平等院などの首都京都の霊地名所が描かれていたそうです。ここでは、毎年5/4に、『なき祭り』という珍しい祭りが行なわれます。

 4.無量光院跡
   藤原氏三代秀衡が建立した無量光院は、宇治平等院の鳳凰堂を模して、ひと回り大きく造られました。しかし現在は、建物は焼失し、礎石が残っているだけです。池跡は一段低くなっており、往時の状況を現代に伝えます。
お寺の正面に立つと、橋・中島・橋・本堂が一直線に並び、その先には金鶏山が望めます。

 5.金鶏山
   金鶏山は、比高差60mほどの円錐形の優美な山です。平泉を訪れた松尾芭蕉も、「金鶏山のみ形を残す」と、その印象を述べています。山頂からは平泉すべてを見渡せることから、平泉の中心として意識されていたようです。 金鶏山には、秀衡が一晩で造った人工の山、雌雄一対の黄金の鶏が埋められているなどの伝説があります。これらの伝説は、山頂に営まれていた経塚から派生したものでしょう。経塚は、初代清衡晩年から四代泰衡までの間に、最低9基は造られたようです。



                 (世界遺産オンラインガイド HPより)  

 1.世界文化遺産 平泉 ”観自在王院跡の桜” を観賞する
 観自在王院跡(かんじざいおういんあと)

 世界文化遺産登録
 「平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」
 として2011年世界文化遺産登録 
 岩手県西磐井郡 平泉町
 (撮影 2018.12.27、2019.04.28)
 (作成 2021.10.17)

 観自在王院跡(かんじざいおういんあと)とは、岩手県西磐井郡平泉町の平泉志羅山に藤原基衡の妻が建設した寺院跡です。

 境内跡は「毛越寺境内 附 鎮守社跡」の一部として国の特別史跡、庭園は「旧観自在王院庭園」として国の名勝に指定されています。2011年(平成23年)6月26日、「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―」の構成資産の一つとして世界遺産に登録されています。

 観自在王院跡は毛越寺に隣接していますが、1189年(文治5年)以後は荒廃し、水田となっていました。
 約160×260mの南北に延びる寺域の北部に2つの阿弥陀堂があり、中央部に園池がありました。その寺域にある平安時代末期の庭園は1973年(昭和48年)から1976年(昭和51年)にかけて発掘・復元されています。数少ない平安時代の庭園遺構として評価されています。
    
 (ウィキペディアより)
(Size : 64,523KB) 観自在王院跡(庭園)の「舞鶴池」にて 観自在王院跡(庭園)、「舞鶴池」と桜です
  





 2.平泉 ”観自在王院跡の桜” を観賞する



観自在王院跡(庭園)、「舞鶴池」の桜を望む


「南門跡」より、観自在王院跡(庭園)の望む 日本庭園、「舞鶴池」と桜を望む
< 観自在王院跡庭園について > 
 「観自在王院跡(庭園)」は隣接する『毛越寺庭園』と同様に平安時代末に作庭された浄土式庭園で、世界遺産『平泉 ―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―』の構成資産です。「旧観自在王院庭園」として国指定名勝、国の特別史跡となっています。

 「観自在王院」は平安時代の末期、奥州藤原氏の二代目・藤原基衡の妻が自らの居宅を寺院として創建。奥州藤原氏の滅亡後も寺院としては存続したとのことです。戦国時代の1573年に焼失、その後江戸時代には水田として利用されていました。昭和年代に発掘調査・整備され、現在は史跡公園となっています。

 寺院が建立された平安時代末期に作庭されたと推測されている浄土式庭園は、幅約90メートルのほぼ正方形という『毛越寺』に負けず劣らず大きい池泉“舞鶴が池”を中心とした庭園です。池の中央南寄りに中の島が見られるほか、奈良〜平安〜鎌倉時代によく見られる曲線的な池の形であり、池の毛越寺寄りの場所には遣水や滝石組も。この庭園の池泉の水源は毛越寺境内にある「弁天池」から引かれているとのことです。


            (庭園情報メディア〈おにわさん〉より)




観自在王院跡(庭園)、「舞鶴池」の桜を望む



google地図より(■カーソルセットで写真表示) google地図より(■カーソルセットで写真表示) Google!地図より(■カーソルセットで写真表示)
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観自在王院跡(庭園)にて




googleマップからの画像です。googleマップからコピーしました
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観自在王院跡、日本庭園にて
 





 3.平泉 ”桜の観自在王院跡”にて (1)



観自在王院跡日本庭園、「舞鶴池」にて



「舞鶴池」にて、後方は「大阿弥陀堂」になります



観自在王院跡(庭園)、「大阿弥陀堂」を望む




「舞鶴池」に映る桜です



観自在王院跡、日本庭園を望む



観自在王院跡、日本庭園の桜です
 4.平泉 ”桜の観自在王院跡”にて (2)



観自在王院跡、日本庭園の桜です



観自在王院跡、日本庭園にて



日本庭園の桜です



日本庭園を望む。舞鶴池が鏡のようになっています



日本庭園の桜を望む
   





 5.平泉 ”桜の観自在王院跡”にて (3)



庭園と桜です



散策道の桜です



散策道を覆うような、桜のトンネルです



散り始めた桜の花びらです



日本庭園の美しい風景をです。平安時代に造られたと思うと感慨深いものがあります



日本庭園の風景です



「舞鶴池」と桜のコラボです



桜のある日本庭園の風景です



観自在王院跡「西門跡」より、「舞鶴池」を望む
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”冬の観自在王院跡”  (撮影:2018年12月27日)
 6.平泉 ”冬の観自在王院跡” にて (1)



「南門跡」より、観自在王院跡(庭園)の望む
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観自在王院跡、「旧観自在王院庭園」現地案内板です



観自在王院跡、現地案内板です


観自在王院跡(庭園)の「舞鶴池」、「中島跡」を望む



観自在王院跡(庭園)の「舞鶴池」を望む。左側が「中島跡」になります



観自在王院跡(庭園)、「中島跡」の現地案内板です



観自在王院跡(庭園)、「中島跡」を望む。写真の白い点は雪が降ってきたためです
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「伝普賢堂跡」より、「中島跡」を望む
◆クリックでGoogleストリートビューと 360° ビューが表示されます
 





 7.平泉 ”冬の観自在王院跡” にて (2)



観自在王院跡(庭園)の「舞鶴池」にて、池の向こうは「大阿弥陀堂」です



観自在王院跡、日本庭園の美しさが伝わります



「伝鐘楼跡」を望む




「伝鐘楼跡」、現地案内板です



「伝鐘楼跡」の楚石です



「伝鐘楼跡」を望む




日本庭園散策道です。左側が「伝鐘楼跡」です




日本庭園、「舞鶴池」です 「舞鶴池」と「大阿弥陀堂」を望む 日本庭園、「舞鶴池」です 日本庭園、「舞鶴池」です
       



観自在王院跡、日本庭園を望む



観自在王院跡、日本庭園を望む
     【 後  記 】

  年末の観自在王院跡(庭園)では、小雪のちらつく中の散策でした。観光客はほとんど見かけませんでした。静寂に包まれた冬の日本庭園、「舞鶴池」の周りをゆっくりと時間をかけ散策しました。

 世界遺産に登録されているこの庭園は、平安時代に造られた浄土式庭園とのことです。「舞鶴池」を中心に「中島跡」より、「伝普賢堂跡」⇒「伝鐘楼跡」⇒(お地蔵様)⇒「大阿弥陀堂」⇒「西門跡」⇒「土塁」⇒「車宿跡」と散策ができます。
 年末のあわただしい中、静かで誰もいない散策は、とても寂しく感じましたが、なにか心の安らぎを覚えました。      
(2021.10.26)





観自在王院跡、日本庭園を望む。中央は「中島跡」です
 8.平泉 ”冬の観自在王院跡” にて (3)



観自在王院跡、お地蔵さんと「小阿弥陀堂」・「大阿弥陀堂」を望む
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お地蔵さんと「小阿弥陀堂」・「大阿弥陀堂」を望む



「大阿弥陀堂」前より、「中島跡」を望む



左側「大阿弥陀堂」・右側「小阿弥陀堂」を望む



観自在王院跡、「西門跡」と「土塁」を望む
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「西門跡」から「舞鶴池」を望む



「西門跡」のアップです



一直線に伸びた「土塁」を望む



観自在王院跡、「車宿跡」を望む



「車宿跡」にて、丸石(大きめの砂利)が敷き詰められています



「車宿跡」より、「中島跡」を望む



「車宿跡」より、観自在王院跡(庭園)を望む



「車宿跡」にて



観自在王院跡、日本庭園です



観自在王院跡、日本庭園「中島跡」を望む






  お気に入り写真 



「西門跡」を望む。後方は、「大阿弥陀堂」を望む



観自在王院跡、日本庭園「中島跡」を望む
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観自在王院跡、南門左側の未整地の場所です。左側は毛越寺通り、後方は「毛越寺」です
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観自在王院跡日本庭園、「舞鶴池」に映る桜です



観自在王院跡、日本庭園の眺めです





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